「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地

坂戸屋の小麦まんじゅう(軽部家)

まんじゅう製造販売の坂戸屋(軽部家)左隣は葉茶屋だった矢島家(昭和47年)

朝山家(富士真空KK)の隣りに、坂戸屋という菓子屋があった。
明治34(1901)年から昭和40(1965)年まで、小麦まんじゅうを製造、販売していた軽部家である。高津区の坂戸から出てきたので、屋号を坂戸屋と名付けた。当時、まんじゅう屋は泉沢寺前のまんじゅう屋と坂戸屋の2カ所であった。
泉沢寺前のまんじゅう屋は「谷風まんじゅう」といい有名だった。しかし大正10(1921)年に倒産してしまった。
坂戸屋は小麦まんじゅうが中心で、祝いや葬儀などがあると、注文に応じて作って届けていた。職人や従業員が4人ほどいて、かなり手広く商売していた。配達は木月・井田・久末・横浜の山田・高田・茅ヶ崎・大棚あたりまで行った。
近くを流れる井田堀より木月堀の方が水がきれいだったので、館を作る時は朝早く起きて、木月堀の水を汲みに行っていた。
原料になる砂糖や小麦粉は、初めは東京から仕入れていたが、大正に入ると街道沿いの末長屋・藤田屋からも仕入れていた。その後、近くの「島甚」から専門に仕入れていた。
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