武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地
米屋 ・オブラート工場 ・富士真空、 そして 「スーパー」 へ(朝山家)
昭和47(1972)年、道路拡張工事で、2mほど後退した朝山家である。「あさや」とか「こめや」とか呼ばれていた。
明治の末頃は呉服屋で、大正時代は米屋、昭和5(1930)年からはオブラート工場を造り、東京の錦糸町方面に卸したり、川崎の明治製菓に納めていた。戦後は富士真空KK、そしてスーパーヘと世代が変わり、経営内容もいろいろと変化してきている。現在は2・3・4階は賃貸マンションになっている。
1階は「肉のハナマサ」(中原市場)に変身し、肉を中心に米・野菜・果物・飲物・雑貨などを扱う24時間スーパーとなっている。