武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地
風呂屋と料理屋の「いずみや」(小泉家)
今は小泉ビルが立ち、1階が焼肉屋になっている場所である。
昔は2階建てで、1階が「和泉湯」、2階が「いずみや」という料理屋だった。
このあたりで1軒しかない食べ物屋と風呂屋だったので随分と賑わい、村の役員会や諸々の会合に使われた。約300坪ほどの広さだった。
「和泉湯」はガス灯が天井から3個下がっていて、真ん中に竹(竹屋で作ってもらった)の水槽を埋めておいて、男女別に湯が分けられていた。とてもハイカラな浴場だった。
裏庭に大きな井戸が掘ってあった。足りない水は川崎堀から竹筒で引いていた。
「いずみや」は大正の末まで神地の歳の市(12月28日)や、泉沢寺の縁日(8月25日)には、けんちん汁・茶めし(醤油めし)などを仕出ししていた。
しかし関東大震災で家屋がつぶされてしまったため、大正14(1925)年こんにゃく屋を始めた。こんにゃく玉は静岡から仕入れていた。月に1・2回は川崎まで受け取りに行っていた。当時、こんにゃくは高価なもので、冠婚葬祭や行事の時ぐらいで、普段食べられたのは裕福な家庭だった。