武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地
農家のかご作り
泉沢寺の山門左際に「かご屋」(渡辺家)があった。山門右には「おけ屋」(島村家)があった。渡辺かご屋は大正8(1919)年頃から、かご屋を始めるようになった。昔は農家のかご(はまかご・ろっかく・背おいかご)などが多く、あとは普通のざる製造が主なものだった。
多摩川を渡って東京、横浜の山田・勝田の人達がよく買いに来ていた。材料・の竹は街道沿いの横浜の山田・高田、川崎の土橋・馬絹などに沢山あったので、それを仕入れたり高田の竹屋から、まとめて買っていた。
製品は自分の店先だけの販売で、行商はしなかった。毎日、予約に追われ、2カ月先までいっぱいだった。1日に2・3個できる時もあったし、10個製造という時もあった。
昭和初期には中原街道沿いに3軒のかご屋があった(丸子に矢作本店、分家店の2軒があった)。