武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村
高願寺(高元寺より改称)
寺伝によれば、新田義貞の子義興、義宗らが上野で兵を挙げ鎌倉へと進みし後、足利尊氏との鎌倉争奪戦の戦乱の影響を市内でも被り、その家臣の霊を弔うための草庵として始まるとあるが不詳。
当初の本堂・庫裡は灰燼(じん)に帰し(宝暦3『1753』年、翌、宝暦4年に第7代・南順によって再建された。その本堂も昭和57(1982)年2月、火災により焼失し、現在の本堂はその後に再建されたものである。
江戸時代には阿弥陀領の土地石高を賜受され、侍寺とも俗称され、神地の光円寺も帰依寺であった。
また、宮内の学校教育の発祥の場でもある。明治6(1873)年、宮内学舎と名付けられた寺子屋が開かれている。(後に宮内学校)
尚、現在の寺号は平成17(2005)年に、高元寺から真宗寺院建立当初の寺号「高願寺」に改称された。本尊は阿弥陀如来である。