武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村
庚申搭と大師道
中をよく見ると、手が6本の青面金剛の仏像で、鬼のような者を足で踏みつけている。その下に「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が刻まれている。
塔の右側に、今から300年ほど前に信心し、160年前にこの塔を建てたとある。
庚申塔は、村のはずれや分かれ道などに建てられていることが多い。
昔の人々は「人の身体に三尺(さんし)という小さな虫がいて、60日毎に回ってくる庚申の日に、天の神へ悪口を言いに行く」という言い伝えを信じ、その日が来ると眠らないでお祭りをし、虫が天に行くのを防いだという。
今ある祠は、昭和15(1940)年に講中の仲間6軒がお金を出し合い造り直したものだ。現在でも庚申の日には集まり夕食会を開いている。正面に掛軸を飾り花や供物、線香を立て、その前で、おそばやご馳走を食べ、お酒を飲み、世間一般の四方山話をして時を過ごす。
途中、菅田家1軒が川野家と変わったが、年6回ほどの講は継続されてきた。
昭和49年の当番は、1月 小林英男、3月 川野俊久、5月 菅田近好、7月 中村文三郎、9月 中村わか、11月 小林英だった。
平成12年には、小林家2軒、中村家2軒、川野家1軒の5軒に、平成20年には小林家、中村家、菅田家、川野家の4軒で伝承している。輪番は、年末の「かのえさる」の時、くじ引きできめている。
この庚申塔の台座に「南大師道 東江戸道 西大山道」と三方向の道標になっている。
現在、府中街道は小杉十字路を直進しているが、 明治39(1906)年までは、府中街道はなかったので、この庚申塔前から今の府中街道へ向かう大師道が主要道だった。
地元の人々の中には今でもこの道を大師道(みち)と呼ぶ人達がいる。また、小杉十字路から、この出口までの府中街道を新道といっていた。