武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村
質屋から呉服屋(小林家)
江戸時代から農業のかたわら質屋をやっていた小林家で「質屋」とも呼ばれている旧家である。
小林家は三左衛門から三右衛門と数代にわたり名籍を継ぎ、三右衛門となっている土地の素封家である。
「三右衛門河岸」が、多摩川の小杉御殿の近くに(西丸子小のそば)あり、経済の要衡として栄えた。
この「三右衛門河岸」は、小林三右衛門が特別な権利を有していたと考えられ、江戸中期まで利用されていたようだ。 昭和初期の三右衛門は、中原村長を務めている。
先代の小林英男は、27歳で中原町助役、市に合併後は川崎市水道課長等を歴任された。戦後は市議会議員となり活躍され川崎市の市政の功労者であった。
郷土の研究に尽力され、川崎郷土研究会の設立に力をそそぎ、2代会長として活躍され後進の指導に努力された。第13回(昭和59年)川崎市文化賞を受賞している。
小林家は大正14(1925)年から質屋をやめて呉服屋を始めた。その頃は街道を利用する農家の人々がよく利用していた。品物は、今と違って下着や反物が多く、自分の家で作る材料を販売するのが専門だった。仕入れは、小杉陣屋町にあった石橋呉服店本店がやっていた。