武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村
御殿跡の酒造り(平六大尽)原家
表御門のあった横道から石橋醤油店までの間に「平六大尽」という大きな屋敷があった。明治10(1877)年頃まで残っていたといわれている。
「大尽」とはお金持ちの事だが、この家は「大陣京」という屋号の原家である。
先祖が「平六大尽」の家を弟に譲って隠居した事から、「大尽隠居」ともいわれていた。
原家の祖先は千葉氏の流れをくむ武士で、小杉御殿ができた時に御馬屋敷と「やぶ」という家の間に住んでいた。
5代目の平六の頃から御殿跡に屋敷を持ち、代々「平六」を襲名していた。
原家には江戸時代の武士の礼装である裃、鎧、大刀・小刀(関孫六作)や、大名が休息した時、玄関に掲示した宿札「松平出羽守休」など多くの品物が保存されている。
太田南畝(蜀山人)の「調布日記」によれば「原平六が家に宿る」とあり、宿札などから推察すると、中原街道を通る大名も宿泊していたようである。
屋敷は明治末にはなくなり、その後代々、酒造りをしていたという。
中原街道に面して大きな長屋門を構え、土蔵が連なっていた。物資は西丸子小学校の左脇にあった「三右衛門河岸」から船で、江戸(東京)へ運んでいた。
また泉沢寺の本堂の扉に、原家の家紋が刻まれているが、これは平六大尽家の長屋門の扉だったものである。