「中原街道と武蔵小杉」3 小杉御殿と小杉村

陣屋荘の原家(石橋本家)

陣屋荘(原家)の表門(昭和 49年)

中原街道をしばらく歩き丸子通りをすぎ、信号のある十字路の右側に大きな門構えの家がある。
江戸時代の天明4(1784)年に肥料を売る店を開店、その後、手広く肥料商(醤油かす、しめかすなど畑の肥料として使用されていた)をやり、石橋を方々にかけたといわれ「石橋本家」という屋号で呼ばれる原家だ。
昭和23(1948)年より、昭和36(1961)年4月まで「陣屋荘」という割烹料亭をやっていた。一時は結婚式場として利用されたこともあった。昭和30(1955)年頃が最も盛んだったという。
建物は川崎市立日本民家園に移築、保存されている。(近代和風建築として重要歴史記念物に指定)
建坪は約106坪。1階10部屋・2階5部屋・台所・便所3カ所。文庫蔵・離れ家屋・土蔵を含めると、家屋の総面積は約161坪だった。
現在、陣屋荘・母屋跡地を中心に広い敷地に近代和風建築の特徴を生かした住宅が建っている。原家は約400年続く旧家(石橋原総本家)で9代文次郎は、おじの小林三左衛門と玉川銀行を設立(明治33[1900]年西明寺近く)頭取をしていた。10代正一、11代正己と親子で神奈川県議会議長を歴任されている。12代も県議会議員として、地域のために尽力されていたが、途中、体調を崩され、議員を辞していた。現在は、元気に地域の新しい街づくりと発展に力を注ぎ活躍されている。

陣屋荘(現在、日本民家園に移築・保存)

江戸時代の流れを汲む木造建築技術が高度に発達した明治後半期の建物で、完成までに、木材の選定、切り出し、干乾に、22年の歳月を費やした豪壮な二階建て。社寺建築を思わせる建物。川崎市重要歴史記念物に指定。

日本民家園の正門の右側に建っている

上棟式(明治 44年4月 16日)左上の写真は9代、原文次郎

昭和24年作成のマッチ

中原街道の拡張工事のため、表門(陣屋門)、塀を後退した時の原総本家(平成 15年)

歴史を伝える表門(陣屋門)と近代的な5階建てビル。
水と緑をテーマにした中庭や地域の歴史を伝えるギャラリーなどがある(平成 27年)

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