武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」1 堤防で姿を消した90軒の集落
小金井魚屋
田中こんにゃく屋・北向観音跡地の横の道をはさんで、小金井魚屋があった。 大正11(1922)年に、大楽院の近くからここに転居し、農業のかたわら魚を投網で捕って売ったり、店でみそ・酒・雑貨など売っていた。昭和45(1970)年の夏まで、店の横(中原街道側)に川船が置かれていた。 昭和10(1935)年、丸子橋が開通したのを機会に上丸子の本村につながる道路側に店を変え、魚屋㊂マルサンを始めた。
当時、中原街道沿いに魚屋は一軒もなく五反田から時々、魚売りが来るだけだった。そこで、東京築地から仕入れた魚を板台をかついで、向河原や小杉方面へ売りに行っていた。
平成20(2008)年4 月、2 代続いた魚屋も主人が逝去のため閉店した。