新小杉開発株式会社

新・小杉散歩

2022.02.21

南武線と東横線の武蔵小杉駅ヒストリー

武蔵小杉駅
JRの南武線武蔵小杉駅は、かつてグラウンド前駅(停留場)と呼ばれていました。
南武鉄道が開通したのは昭和2年。
中原区内では平間・武蔵中丸子、向河原、グラウンド前、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城の7駅が設けられました。

「中原街道と武蔵小杉」東急東横線の「工業都市駅」より

南武線グラウンド前駅

南武線グラウンド前駅(昭和8年撮影)。(「中原街道と武蔵小杉」南武線武蔵小杉駅(北口)の建物とバスターミナルより)

昭和8年の写真には、右の奥にグラウンドとバックネットが見られます。このグラウンドは第一生命が大正末期に購入したもので、野球グラウンド、テニスコート、トラックフィールドなど3万平方メートルほどの広さがあったそうです。
また、武蔵中原方面の府中街道と交わるあたりに武蔵小杉停留場がありました。昭和19年にグラウンド前停留場と武蔵小杉停留場が統合し、現在の駅舎となったそうです。

少し遡って昭和14年12月、東急が府中街道と東横線の交差する場所に、工業都市駅を開業します。当時数多くあった工場で働く人々のために建てられたことから、このような駅名となったようです。昭和17年の案内図によれば、新丸子、工業都市、元住吉…とあります。

昭和17年5月の東急東横線案内図

昭和17年5月の東急東横線案内図。(「中原街道と武蔵小杉」東急東横線の「工業都市駅」より)

川崎空襲のあった昭和20年には、南武線との交点に東急の武蔵小杉駅が開業します。
しかし、あまりにも近くに駅が続いていることから、昭和28年に工業都市駅を廃止。武蔵小杉駅と合併し、現在に至ります。

昭和20年に完成した東横線の武蔵小杉駅。左の階段は南武線への連絡通路。(「中原街道と武蔵小杉」南武線と東急東横線より)

この頃まで、小杉の町の中心は小杉十字路にありました。
しかし、工場や大学の誘致により、武蔵小杉駅を利用する人口が増加。昭和30年にはグラウンドの宅地化工事がはじまり、昭和33年には駅前に9階建てのショッピングストア(東光ストア)が開業。バスターミナルや図書館、消防署、市役所の中原支所(現中原区役所)など、商業や行政が駅を中心に発展し、町の賑わいは小杉十字路から小杉3丁目に移っていきました。

昭和31年の国鉄南武線武蔵小杉駅。(「中原街道と武蔵小杉」南武線武蔵小杉駅(北口)駅の建物とバスターミナルより)

昭和40年の武蔵小杉駅前バスターミナル。左の建物は横浜銀行。(「中原街道と武蔵小杉」南武線武蔵小杉駅(北口)の建物とバスターミナルより)

バスターミナル、昭和41年撮影。(「中原街道と武蔵小杉」南武線武蔵小杉駅(北口)の建物とバスターミナルより)

激動の昭和という時代を経て、現在はJR4路線、東急2路線が乗り入れるターミナルステーションとなった武蔵小杉駅。平成から令和にかけたの再開発によって、駅周辺もさらなる発展を遂げています。
南武線、東横線をはじまりとした武蔵小杉駅の歴史については、羽田猛著「中原街道と武蔵小杉」にて詳しく紹介されています。下記からアーカイブがご覧いただけますので、こちらもぜひご一読ください。

東横線と南武線の連絡の道
南武線の路線計画
南武線と東急東横線
東急東横線の「工業都市」駅
南武線武蔵小杉駅(北口)駅の建物とバスターミナル
東急東横線駅前と周辺

【小杉の語りべ】歴史の証人が語る「小杉のまち」 第4回 郷土史研究家 羽田 猛

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