武蔵小杉の歴史
「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地
中原村(町)の役場
明治22(1889)年、平屋瓦屋根の中原村役場が建てられた。市町村制が実施され上丸子・小杉・宮内・上小田中・下小田中・新城の6カ村が一緒になり中原村が誕生した。
村役場を新築することになり、どこに建てるか、話し合いの結果、村の中央に建てようということになり実測した。上丸子の渡し場から岩川橋までの中央ということで、この地(朝山信平所有)に村役場が建てられることになった。
ここには下駄屋(中島)があったが、向い側に移転(泉沢寺所有)してもらい村役場を新築した。
建物は約40坪ほどで、奥に10坪くらいの用務員室があった。役場には村長、収入役など6人の職員が働いていた。
この建物も関東大震災で壊れてしまった。大正14(1925)年5月10日、中原村と住吉村(今井・市ノ坪・苅宿・木月・井田)は合併して中原町が誕生した。
中原村役場の場所に町役場を木造2階建てで新築した。用務員室・物置などを含めて104坪の広さがあった。
この町舎も昭和20年の大空襲で焼失してしまった。その後、中原公益質屋と裏側に児童公園ができた。昭和63年に公益質屋は閉鎖され、7階建てのマンションが建てられた。その後1階はピザステーションとなり、平成26年には接骨院になっている。