「中原街道と武蔵小杉」4 泉沢寺・役場と商家が並ぶ神地

小川材木屋とたび屋から旭屋へ

昭和20(1945)年の川崎大空襲までは、丸京そめもの屋から北島米店までの場所に大きな材木屋(小川家)があった。
街道沿いに材木がずらりと並んでいて、大きなガラス戸の事務所があり、奥には2階建ての家屋があった。
木場から製材した材木を買い入れて、店に並べて販売していた。小杉の石橋原本家の「陣屋荘」で使用した木材は、ここで原木製材して納入したという(祖母同士が姉妹だった)。
初代、2代とも小川森之助と呼ばれていた。山地を歩いて木材を買い問屋に売りこむ仲買人もやっていた。その後、荒物屋をやっていたこともある。
街道を通る野川・大棚・山田などの農家の人々が買いに来て繁盛していた。大正末には、たび作りをやめ、普通のたび(おかたび)は埼玉県の行田から、地下たび(ゴムたび)は、東京・用賀から仕入れ販売していた。平成26年までは4階建てビルにして1階で洋品店を開いていたが、平成27年4月更地になっている。

旭屋用品店(昭和46年)手前の右側(隣)に住宅公団(花菱ビル)がある

旭屋用品店と右隣の公団住宅(花菱ビル)(平成20年)


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