歴史資料室

「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ

小杉十字路と乗り合馬車

小杉十字路(万年屋前から右の停留所へ。川崎行き乗り合自動車)(昭和6年)

小杉十字路(万年屋前から右の停留所へ。川崎行き乗り合自動車)(昭和6年)

中原街道と府中街道とが交差する所を「小杉十字路」と呼んでいる。

現在、また大きく変化しているが、左側の角に大正2(1913)年から昭和7(1932)年にかけて、乗り合馬車(後に乗り合自動車)の停留所があった。

停留所は川野家の弟が経営し、食堂「川野軒」は兄が営業していた。

角地の食堂だったので、両方の街道から出入りができた。土間に木製のテーブルがあり、そこで料理を食べたり酒やラムネなどを飲んで待つことができた。

府中街道側に馬小屋があり2頭の馬がいた。馬車が1台置いてあり、ここで馬を変えたり客が多い時は臨時に馬車が出せるようになっていた。

馬車は、1日に5回(往復10回)を溝口~川崎間を運行していた。

[川崎行き]
午前7時・9時・11時30分・午後2時・4時の5回

[溝口行き]
午前9時・11時・午後1時30分・4時・5時の5回

この馬車は、「稲毛馬車組合」が走らせたもので、自動車会社(溝口『つるや』)ができるとその会社に買収され、馬車から自動車へと変わった。

当時、川崎まで馬車で30~40分くらいで、一番早い乗り物だった。車体は木製・黒塗りで、屋根にはホロがかかっていた。

定員8人。後から乗り降りし左右に4人がけで向かいあって席があった。

車は木製に鉄の輪が入っていて、大きなスプリングが取り付けられていたが、砂利のデコボコ道なのでかなり揺れた。

駆者は手綱を取りながら、ラッパを「ペッポー、ペッポー」と吹き鳴らし、田んぼや畑の中を走っていた。

この馬車も5年ほどで姿を消していった。

また神地橋のたもとにあった「西村氷屋」が新丸子―横浜大棚まで、中原街道を走る乗り合馬車を始めた。しかし乗客が少なく1年たらずで廃止してしまった。(昭和初期の頃)

自動車が走り、東横線・南武線が開通し武蔵小杉駅ができると、町の中心は武蔵小杉駅周辺に移った。

ロンドン・パリと呼ばれ、賑わっていた小杉十字路付近は、次第に寂れていくことになった。

小杉十字路の万年屋前を横断の小学生。万年屋は、そば屋だが昭和初期には豆腐を製造販売していたという(昭和37年)

小杉十字路の万年屋前を横断の小学生。万年屋は、そば屋だが昭和初期には豆腐を製造販売していたという(昭和37年)

小杉十字路、左側が万年屋、正面が勇鮨。勇鮨になる前には川野軒・馬車の待合所や氷水屋、茶店、カフェになった。裏に2階建ての料理屋を新築し繁盛した(昭和37年)

小杉十字路、左側が万年屋、正面が勇鮨。勇鮨になる前には川野軒・馬車の待合所や氷水屋、茶店、カフェになった。裏に2階建ての料理屋を新築し繁盛した(昭和37年)

小杉十字路。昭和45年まで営業していた安藤薬局。大正12年までは2階建ての料理屋「稲毛屋」があったが大震災で壊れた(昭和37年)

小杉十字路。昭和45年まで営業していた安藤薬局。大正12年までは2階建ての料理屋「稲毛屋」があったが大震災で壊れた(昭和37年)

西村氷燃料店は道路拡張工事で取り壊された(昭和47年)

西村氷燃料店は道路拡張工事で取り壊された(昭和47年)

中原街道にかかる神地橋より小杉十字路方面の家並み(昭和44年)

中原街道にかかる神地橋より小杉十字路方面の家並み(昭和44年)

中原小学校前の府中街道より小杉十字路方面の家並み(昭和46年)

中原小学校前の府中街道より小杉十字路方面の家並み(昭和46年)

明治初期から開業していた田辺医院(昭和47年)

明治初期から開業していた田辺医院(昭和47年)

小杉十字路(府中街道より)溝口方面の家並み、左側は田辺医院(昭和44年)

小杉十字路(府中街道より)溝口方面の家並み、左側は田辺医院(昭和44年)

小杉十字路方面での家並み(中原街道より)。右側は田辺内科、左側の角(万年屋、川野金物店)は取り壊されてしまった(平成10年)

小杉十字路方面での家並み(中原街道より)。右側は田辺内科、左側の角(万年屋、川野金物店)は取り壊されてしまった(平成10年)

小杉十字路。田辺医院(右のクレーンの所)建て直し、安藤薬局(手前の更地)、西村氷燃料店(右手前)等は道路拡張工事で取り壊された(昭和51年)

小杉十字路。田辺医院(右のクレーンの所)建て直し、安藤薬局(手前の更地)、西村氷燃料店(右手前)等は道路拡張工事で取り壊された(昭和51年)

小杉十字路。田辺内科(右側)が建設中。バスは小杉より溝口駅行きで府中街道を走行している(昭和52年)

小杉十字路。田辺内科(右側)が建設中。バスは小杉より溝口駅行きで府中街道を走行している(昭和52年)

小杉十字路。左は万年屋、右は勇鮨、正面は丸子橋方面の家並み(中原街道)(昭和45年)

小杉十字路。左は万年屋、右は勇鮨、正面は丸子橋方面の家並み(中原街道)(昭和45年)

川野商店(金物屋)と右隣の小山鉄工所(昭和45年)

川野商店(金物屋)と右隣の小山鉄工所(昭和45年)

小杉郵便局前より小杉十字路方面の家並み(昭和46年)

小杉郵便局前より小杉十字路方面の家並み(昭和46年)

2棟とも川野商店(金物屋)、右側の2階に東京電灯(東京電力)の事務所があった(平成10年)

2棟とも川野商店(金物屋)、右側の2階に東京電灯(東京電力)の事務所があった(平成10年)

小杉十字路の勇鮨(左)と正面は田辺内科。右側は万年屋(昭和52年)

小杉十字路の勇鮨(左)と正面は田辺内科。右側は万年屋(昭和52年)

小杉十字路の万年屋と川野商店(金物屋)、前の道路は中原街道(昭和52年)

小杉十字路の万年屋と川野商店(金物屋)、前の道路は中原街道(昭和52年)

小杉十字路。左は万年屋、右は勇鮨(昭和52年)

小杉十字路。左は万年屋、右は勇鮨(昭和52年)

小杉十字路。前方は中原街道、万年屋が取り壊されて無い。川野商店、小山鉄工所が見える(平成10年)

小杉十字路。前方は中原街道、万年屋が取り壊されて無い。川野商店、小山鉄工所が見える(平成10年)

小杉十字路。左より右への道は府中街道、正面に勇鮨が見える。時計のある場所に稲毛屋(後、薬局)があった(平成10年)

小杉十字路。左より右への道は府中街道、正面に勇鮨が見える。時計のある場所に稲毛屋(後、薬局)があった(平成10年)

小杉十字路。田辺内科前より中原小方面を望む。左側は喫茶「にしむら」、右側は小西屋米店。大正末から仕出しや食堂だった。昭和20年後に精米店に転業した(平成10年)

小杉十字路。田辺内科前より中原小方面を望む。左側は喫茶「にしむら」、右側は小西屋米店。大正末から仕出しや食堂だった。昭和20年後に精米店に転業した(平成10年)

小杉十字路。神地橋方面の家並み。左側は田辺内科が取り壊され更地に(平成20年)

小杉十字路。神地橋方面の家並み。左側は田辺内科が取り壊され更地に(平成20年)

田辺内科のあった場所。7階建てのマンションができる予定(平成20年)

田辺内科のあった場所。7階建てのマンションができる予定(平成20年)

小杉十字路。左は勇鮨、右は田辺内科(平成12年)

小杉十字路。左は勇鮨、右は田辺内科(平成12年)

川野金物店と右隣は川野家自宅(平成20年)

川野金物店と右隣は川野家自宅(平成20年)