歴史資料室

「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ

水郷から工場・宅地・グラウンドへ

釣りの名所だった「東横水郷」は、埋め立てのため、次々と姿を消していった。

3号池は比較的遅くまで残っていた。

現在のフィッシングセンターは、5号池を中心として整備され、(周囲約180m、島の面積0.23ha)、6号池は日本庭園の池として一部が残され、その名残をとどめている。

<池が消えていった順序>

2号池 昭和28年 新丸子東急グラウンドへ
4号池 昭和30年 住宅(分譲建売り)へ
1号池 昭和35年・44年 多摩生コンクリート工業へ・ふるさとの森へ
7号池 昭和39年 陸上競技場・噴水公園へ
5号池(一部) 昭和45年 住宅地(4号池)のつづきへ
3号池 昭和45年 駐車場・広場へ
6号池(一部) 昭和46年 日本庭園へ

※○号池というのは、持ち主の区分けのために名付けたもので、便宜的な通称であった