歴史資料室

「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ

石橋醤油店(原家)

道路拡張工事で塀を後退した石橋醤油店(平成20年)

道路拡張工事で塀を後退した石橋醤油店(平成20年)

十字路を更に先へ進むと(タマガーデンの先)右側に、昭和50年くらいまで高い煙突があった「石橋醤油店」という看板の原家がある。

この家は明治3(1870)年から、農業をしながら醤油造りを始めた。大正12(1923)年から専業となり、キッコー「文山」のラベルを貼り、昭和26(1951)年まで製造していた。

昔は街道を利用して天秤棒に桶をさげて、東京方面からも買いに来る人が沢山いた。昭和8(1933)年頃には、トラックを使って運搬するほど盛んだった。

毎年、冬になると新潟から醤油造りの職人が4・5人来て、大変活気があったという。

東京から「こやし」を運んで帰る農家の人々や、付近の人達も買いに来ていた。

当時、ほとんどの農家でも醤油を自家製で造っていたが、塩からくて美味しくないので「文山」と混ぜて味を良くして美味しくしたり種として使っていた。

現在でも、醸造工場の建物の一部が保存されている。蔵に入ると、直径3m、高さ3mもある大樽や大釜が残され、明治・大正・昭和と大がかりな醤油造りの一端を見ることができる(その他、多くの道具などが川崎市民ミュージアムに保管・展示されている)。

原家は、親子で川崎市議会議員や議長などを歴任され、地域のために尽力されている。江戸時代からの旧家である。

昭和8年に建て替えた石橋醤油工場(昭和46年)

昭和8年に建て替えた石橋醤油工場(昭和46年)

街道沿いの旧家、石橋醤油店(昭和50年)

街道沿いの旧家、石橋醤油店(昭和50年)

醤油工場入り口と煙突(昭和46年)

醤油工場入り口と煙突(昭和46年)

商標「キッコー文山」のある蔵(昭和50年)

商標「キッコー文山」のある蔵(昭和50年)

昭和18年から使用の醤油ラベル

昭和18年から使用の醤油ラベル

大きな樽が並んでいる醸造工場内(昭和46年)

大きな樽が並んでいる醸造工場内(昭和46年)

醤油のラベル

醤油のラベル

道路拡張で塀が取り除かれたようす(平成20年)

道路拡張で塀が取り除かれたようす(平成20年)