歴史資料室

「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ

南武線と東急東横線

東横線を高架にし南武線と交差する所に木造で仮の武蔵小杉駅(時々停車のみ)が造られた。左側は南武線へ連絡する階段(昭和20年6月16日完成)

東横線を高架にし南武線と交差する所に木造で仮の武蔵小杉駅(時々停車のみ)が造られた。左側は南武線へ連絡する階段(昭和20年6月16日完成)

南武線(南武鉄道株式会社)と東京横浜電鉄(東急東横線)とが平面交差していた時があったことを知っている人は少ない。

両社の話し合いが決着し、東横の高架橋が完成するまでの7ヵ月間は、両会社の手信号の係が出ていた。

南武線は大正11(1922)年8月、工事認可を受けていたが土地買収がうまくいかず、もたついていた。

東横電鉄は大正13(1924)年11月8日に、工事認可を取った後、すぐに工事に着手し、大正15(1926)年2月までに、丸子多摩川-神奈川間を突貫工事で完成させた(当時の東横電鉄の専務は、五島慶太だった)。

あわてた南武鉄道は「認可は南武が先だ。東横は高架橋を造り、上を走るべきだ」と譲らず、両社は対立した。

結局、仲介に鉄道省等が入り話し合いの結果、建設費用は東京横浜電鉄・南武鉄道・鉄道省の3社が分担し、高架橋は東横電鉄が建設することで決着した。

後日談になるが、第二次世界大戦中の昭和19(1944)年2月、五島慶太は運輸通信大臣になった。その時、南武鉄道は国有化され国鉄南武線となった。